ふっと思ったこと。
人はよく、自分はSだ、Mだといいますが、実際それは何を根拠に
述べているのでしょうか。
「S」というキャラクターは、人をいじめることが好きで、「M」はいじめられることが好き。
では、Mの人はどんな言葉や物理的な攻撃にも快楽を感じることができるのでしょうか。
実は、Mの人は快楽のポイントがあるのではないかと思います。
つまり、刺激されたいポイント。
自分の嫌な部分や醜い部分を刺激されることによって、
喜びを感じるのではないでしょうか。
しかもそれは、外見ではなく、心の中にあるのではないでしょうか。
もし、そうであるなら、Sの人は相手と対峙した時に、
瞬時に相手の一番喜ぶポイントを見極めなければなりません。
心の中の一番刺激されたい部分に針を刺す。
その人の本質を突く、言葉と物理的刺激を与えることが必要。
これは、まさに教育なのではないでしょうか。
育成という観点で教育を考えたとき、
本質を如何に変容させるかが、教育の使命だと考えます。
本質を変えるためには、見極め、刺激し・・・。
まさに、SMそのもののような気がします。
S性とM性とコミュニケーション
投稿者
Kazoo
2009年1月19日月曜日
ラベル: 能力開発
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