現在関わっている授業の一つでは,専門的な知識より,社会人基礎力など
実社会で活用できる知識・技能・態度を学びます。
この授業は,教員側からの知識伝達だけではなく,受講生同士が互いを批評的に
指摘することで成長を促しています。その授業の中に,どうしても他者からの批評が
怖いという学生がいます。
その学生の“怖い”の正体はまだつかめていませんが,私自身も昔は“怖い”という感情がありました。
そこで,最近の私の興味のテーマは
「他者からの批評が怖いのはなぜか」
というものになっています。
他者から批評されることが怖いというのは,一体何が原因なのでしょうか。
私の経験を振り返ると,
批評されるということはダメな自分を他人に見せるということ。
ダメな自分を他者に見せることは,恥ずかしいこと。
恥ずかしいことということは,カッコ悪いということ。
つまり,他者に対してカッコ良くありたいというプライドから,批評されるのが怖いになっている。
言いかえれば,カッコ悪い自分を「自分」だと受容できていないということではないだろうか。
「他者からの批評が怖い」の本質の一つは,「自己受容ができていない」なのかもしれません。
これは,私の考えで何の論拠もありませんが,
論文を検索しているなかで,以下のような結論を述べているものがありました。
「自尊心の低い人は,どのようなフィードバックもネガティブにとらえる。
一方,自尊心の高い人は,フィードバックを適切に受け取ることができる。」
つまり,自尊心を高めることが批評を適切に受け取ることにつながるということです。
では,自尊心と自己受容の関連について考えなければなりません。
辞書で調べると,
自尊心:個人が自分自身に対してもつ,自己に対する価値評価とそれにともなう感情。自分自身を価値ある存在として知覚することができ,かつ自分自身を信頼できて初めて,人間は積極的に生活することが可能となる。(教育用語辞典)
自己受容:自己の現実の姿について正確に観察を行い,自己の特徴と価値判断を含めずに十分に自覚すること。(教育用語辞典)
と,記載されています。
このことから,自己受容→自尊心となるのではないかと考えられます。
ですが,その間におそらく自己肯定感が入ると私は考えました。
自己肯定感:自己自身の存在に対する認識として,自己の身体的な特徴や能力や性格などについて肯定的に考えたり,感じたりする感情をさす。(教育用語辞典)
自らの現状を正確に判断し自覚する(自己受容:価値判断なし)→自己の存在を肯定的に捉える(自己肯定感:価値判断あり)→自分自身を価値ある存在として知覚(自尊心:価値判断あり)
このような流れがあるのではないかと考えました。
他者からの批評を適切に受け取れるようになるためには,
自己受容から行わなければならないのではないでしょうか。
今後,自己受容をどのように促すかについて,考えなければなりません。
最近のテーマ「自己受容・肯定,自尊心」
投稿者
Kazoo
2009年7月7日火曜日
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