大学で勤務していると、個人の気付きをどのように与えるか、よく考えます。
先日学生を連れて一泊二日の合宿研修に行きました。
この研修は企画・実施をすべて学生が行います。
さらに学生が実施するセミナーによって研修が構成されています。
我々スタッフはその実施内容やプロセス対して、
リフレクションを行うことが業務です。
実際最終日には、1.5時間のリフレクションが設けられています。
今回はプロジェクトのリフレクションシートを開発し、
それを使ってリフレクションを行いました。
そのシートでは、チームとしてのプロジェクトのかかわり方、
個人として、チームにどのように貢献できたか、
この二点について、リフレクションするものになっています。
今回の学生のリフレクションは、スタッフがファシリテーターとして、関わりました。
30人の学生の中で、5人の学生が自分自身の関与の仕方に関して、
悔しいという思いから涙を流しました。
このような経験は、大学生になってからはあまりしませんよね。
その点で、非常によい経験であるといえますが、
気をつけなければならない点もあります。
つまり、このリフレクションの方法はある種、責任主体は誰なのか、
それを追求してしまうところがあります。
そこで、誰か一人に責任があるということで決着してしまうと、
リフレクションは失敗です。この方法では、誰か一人に責任が
あったのではなく、全員に責任があるということに
話をもっていく必要があります。
その意味で非常にデリケートなリフレクションの方法であるといえます。
しかし、成功した際には十分な効果があるといえます。
実際、今回の合宿では、合宿のリフレクションだけでは十分ではなく、
帰る時に学校から出ようとしたら足が一歩前に出なかった。。。
という学生がいましたし。。。
とても攻撃的なリフレクションだといえます。
ただ、その反面なかなか気づきが得られない学生がいることも
事実で、今回のリフレクション手法を用いても、
まだ気付きがえられない学生ももちろんいました。
その学生には今日個人的にもう一度話をしたのですが、
漠然と指摘をしたので、最後まで響いていないようでした。。。
個人の気付きを的確に与えることは、
一種類のリフレクションでは十分ではなく、
多様な方法の手法を用いることが必要であると
考えられます。
個人の気付きをどう与えるか
投稿者
Kazoo
2008年12月17日水曜日
ラベル: 能力開発
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