“思考の停止”=死だと思う。
今日は、月に1回のミーティングの日だった。
大学院生と一緒に運営している、
組織では毎月1回全体ミーティングを行っている。
4月からこれまで、それはもう悲惨なミーティングだった。
司会兼書記(この段階で若干無理がある)は、
筆記の際、無口になる。
議事の進行が停止する。
また、メンバーからの発言を理解できないことが多い。
そのため、同じところでクルクルまわる。
参加者は、ただの傍観者で、
議題に主体的に関わろうとしない。
“仕事が増ることなく、早く終わる”
これが、理想の会議と言っているようだった。
今日、ミーティングは少し違っていた。
司会兼書記をみかねた学生が書記を自発的に担当し、
これまでの傍観者は議題に対して、自分の意見を述べていた。
しかも、建設的な意見を。。。
これまでであれば、面倒だからとか、負担が増えるからと
却下されていたようなことを、
やってみようと言い始めた。
とても大きな成長だと思う。
今後、彼らの成長をうまくファシリテートできればと思う。
また、今回のミーティングでは改めて、アイデア発想というのを考えさせられた。
元来、日本人というのは“見立て”を“美”とする意識を持っている人種である。
この“見立て”とは千利休あたりから一般的になってきた言葉なのではないだろうか、
「物を本来のあるべき姿ではなく、別の物として見る」という物の見方である。
つまり、日本人とは昔からアイデア発想を得意とし、“美”ととらえてきたのだと言える。
今、社会では“指示待ち人間”“主体性がない”など自分から何か考えて行動できない若者が
多いといわれている。自分を消して、ただの歯車になる。
まさに思考の停止だ。
「言われることを言われたようにこなす=仕事」
これは本当に正解なのだろうか。
私には、“死事”に見えてしまう。
自分だから出来ることを探さなくなったとき、仕事は死事になり、ただの作業になる。
本来、日本人が持っている、発想をフルに使って、今、自分にしかできないことを探す。
そんな風に変らなければならない気がする。
発想
投稿者
Kazoo
2008年11月6日木曜日
ラベル: 能力開発
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