Reflog

日々是反省

キャパシティー

今日は、先日の研修の振り返りを担当の先生と行いました。

その中で、また同じことを言わせてしまいました。
「キャパを超えると、ぶすっっとしている。愛想が全くなくなる。」
以前も、同じことをいわれていて、今回で2回目です。

本当に、いっぱいいっぱいになると、集中が切れてしまい、
それからは愛想はなくなるし、不機嫌な顔をしているし、
話しかけるなオーラが出ているのです。

今回も、途中で集中が切れてしまい、
明らかに不満を顔に出していた時があったように思います。
また、研修を実施している間に、
教室を離れることも多かったと思います。

さらに、終わってからしばらくは、「お疲れ様」という言葉を強く欲していました。
決して、感謝をして欲しいからお手伝いを“した”のではなく、
自分の経験や知識、人脈構築のために、
“させてもらった”にも関わらず、とても傲慢な自分に
改めて恥ずかしい気持ちです。

もっと、初日の開始前に名刺交換や挨拶、
距離を縮める努力をすればよかったと、今では思います。

もう2度と同じ失敗をしないように、
自己管理(ストレス・マネジメント)を行うように
努力しなければなりません。

研修

土日は、研修がありました。
今回は、特に参加するように言われていませんでしたが、
自分で参加させてもらえるように頼んでの参加でした。
そのため、参加者というよりは、アシスタントスタッフと
しての参加で、当日の参加者の方のお世話を全面的に
しました。

当日までに、研修用の水やお茶、お菓子を買出しし、
当日はそのセッティング。

これまでもスタッフとして、何度か研修に参加
させてもらっていたので、比較的慣れている作業でしたが、
今回は、さらにテーブルクロスを自宅から持ってきて、
使用しました。

毎回同じ作業をするのではなく、工夫を凝らし、
参加者にとってより良い時間を提供するために、
今、できることを探ることは常に求められる
ことだと思います。

今回は、自分で工夫をして、気づかれるか
わからないような小さなことですが、
改善と工夫をすることができたのは、
大きなことだと思います。

研修事態は、1日目はワーキング・グループの
取り組みを議論するようなものであり、
個人的には何でこんなことを議論しているのだろうと
思うこともありましたが、それが、
世の中の現実であり、自分自身が知らない、
実際なのだと気付きました。

2日目は、研修のための研修、つまり、
研修の内容をブラッシュアップするための、
研修と、ゲストスピーカーによる、
講演でした。

この研修はこれまでにも何度か
開催されていたものであったため、
今回初参加の私には、突然の内容も
多かったので、あまり理解できない部分も
あったけれど、刺激を受けるよい機会に
なりました。

授業の結果

授業実践を振り返って。
結論から言うと、十分な準備はしてあったけれども、
学習者のレディネスに十分に配慮したものではなかった
ということが、今回の反省点です。


テーマは以前も書いたようにリーダーシップです。
目的はリーダーシップは誰もが身につけられる能力で、
リーダーでなくても発揮しなければならないということを
理解させることです。


そのために、まずは簡単なグループワークを行い、
そのグループワークを通して、
グループ内で、自分自身がどのような役割を
果たしていたのか考えてもらいました。
また、同時になぜグループワークがうまくいったのか、
あるいはいかなかったのか、考えてもらいました。


その中で、個人がグループに果たした役割が本当はあるのにもかかわらず、
それが、役割だと認識していないという状況が多く見られました。
話し始める前に、どのように取り掛かるか、
話の内容をまとめるなど、
多くの学生が自然と自分の役割を果たしていて、
それがあまりにも自然に普段からしていることであるため、
役割だと認識できないという状況です。


もともとリーダーシップというのは、日常的に
自然としていることも多いので、
自覚していないことのほうが多いということを、
理解させるために、もっと良い仕掛けがあったのではないかと、
今では考えています。


個人の役割を考えてもらったのち、
ダニエル・ゴールマンの6つのリーダーシップスタイルについて、
話を展開したのですが、この段階でも、まだピンと来ている学生は
少なかったように感じます。
その後、6つのスタイルの中で、
自分が持っているスタイルはどれかということを個人で考えてもらい、
グループ内で共有していく中で、
実は自分には自分にも自覚していなかった
リーダーシップスタイルがあることや、
自分の考えが正しかったこと、
普段から発揮していることなど、
多くの気づきがあったようです。

最終的には、いい具合に落とすことができましたが、
それでももっと苦労せずに、できたのではないかと、
考えてしまいます。。。

個人の気付きをどう与えるか

大学で勤務していると、個人の気付きをどのように与えるか、よく考えます。

先日学生を連れて一泊二日の合宿研修に行きました。
この研修は企画・実施をすべて学生が行います。
さらに学生が実施するセミナーによって研修が構成されています。

我々スタッフはその実施内容やプロセス対して、
リフレクションを行うことが業務です。
実際最終日には、1.5時間のリフレクションが設けられています。
今回はプロジェクトのリフレクションシートを開発し、
それを使ってリフレクションを行いました。

そのシートでは、チームとしてのプロジェクトのかかわり方、
個人として、チームにどのように貢献できたか、
この二点について、リフレクションするものになっています。

今回の学生のリフレクションは、スタッフがファシリテーターとして、関わりました。
30人の学生の中で、5人の学生が自分自身の関与の仕方に関して、
悔しいという思いから涙を流しました。
このような経験は、大学生になってからはあまりしませんよね。
その点で、非常によい経験であるといえますが、
気をつけなければならない点もあります。

つまり、このリフレクションの方法はある種、責任主体は誰なのか、
それを追求してしまうところがあります。
そこで、誰か一人に責任があるということで決着してしまうと、
リフレクションは失敗です。この方法では、誰か一人に責任が
あったのではなく、全員に責任があるということに
話をもっていく必要があります。
その意味で非常にデリケートなリフレクションの方法であるといえます。
しかし、成功した際には十分な効果があるといえます。
実際、今回の合宿では、合宿のリフレクションだけでは十分ではなく、
帰る時に学校から出ようとしたら足が一歩前に出なかった。。。
という学生がいましたし。。。

とても攻撃的なリフレクションだといえます。

ただ、その反面なかなか気づきが得られない学生がいることも
事実で、今回のリフレクション手法を用いても、
まだ気付きがえられない学生ももちろんいました。
その学生には今日個人的にもう一度話をしたのですが、
漠然と指摘をしたので、最後まで響いていないようでした。。。
個人の気付きを的確に与えることは、
一種類のリフレクションでは十分ではなく、
多様な方法の手法を用いることが必要であると
考えられます。

リーダーシップを体感する授業

今週の木曜日に授業をすることになりました。
テーマはリーダーシップです。

セルフリーダーシップを学ぶ前にまずリーダーシップを学ぼうということです。

そこで、まず「バスは待ってくれない」というワークを行い、
その後そのワークの中で、自分自身がどのような役割を
担っていたのか、考える。
その役割が、ゴールマンのリーダーシップスタイルに当てはめて、
どのような役割になるのか、考えます。
そこから、リーダーシップは誰しもが持ち、
チームのために発揮するものだということを
感じてもらいます。


時間は60分、全く十分な時間とは言えませんが、
十分に効果がある時間ではないかと思います。


実際に木曜日授業を行います。
結果は、またその時。

言葉の解釈

今日は、自分の過ちについて。。。

先日、昔から行っている知りあいの店に行きました。
店休日でした。

そこで、もうひとつの店に行きました。
お客でいっぱいでした。

店の店長さんは知り合いの人で、
わざわざ席を作ってくれるようだったので、
私は、こう言いました。
「〇〇が休みだったから来てみただけなので、かまいませんよ。」
私は、気を使わなくていいですよ。の意味で発した言葉だったのですが、
受け取り手、店長やお店に来ていたお客さんは、
そうは解釈せず、
「Aという店がBという店の下位に位置するのか」
と受け取ったようでした。
そのことを今日、店長から聞きました。
まったくその通りで、そんなつもりは無く発した言葉が、
受け取り手に誤解釈されてしまった。。。
非常に私の配慮が足りなかった、
そのような出来事でした。

言葉とは非常に多くの意味を持っています。
発言によって、相手がどのように受け取るのか、
しっかりと考えた上で、発せなければならないことを
改めて実感しました。

プロジェクトのプロセス評価

今日は、評価方法について考えた一日でした。

相談があったのは、プロジェクトの外部評価について。
近年一般的に評価と言えば、「360度評価」がよく聞かれます。
360度評価とは、あるプロジェクトに対して、関係するすべての
人に評価をしてもらうことです。

今回相談があったのは、映像作品に対する評価でしたので、
評価目的と評価対象のマッチングを行いました。
一般視聴者に対しては、面白いかなどの軸で、
映像を専門としている方には、コンテンツの内容と技術の軸で、
それぞれ評価を行うのがよいのではないかとアドバイスをしました。

もうひとつ、プロジェクトの評価でプロセス評価について考えました。
プロジェクトがイベントなどである場合、
その実施内容についてはよくアンケートの実施などによって
振り返りが行われますが、それまでのプロセスに関しては、
具体的に振り替えられる場面がないように感じていました。

そこで、プロセス評価を実施するためにどのような
評価方法を用いればよいのか、考えました。
以前、ルーブリックを作成したこともあり、
ルーブリックによる評価を考えましたが、
プロセス評価をする際には、ルーブリックのように、
型にハメルものではなく、
ある程度自由な記述が可能なものにする必要があると考えました。
つまり、様々なプロジェクトに汎用的に使える評価シートを作成することを
考えた際、ルーブリックでは十分に対応できない可能性があると考えたのです。

そこで、プロジェクトの計画/準備/実施/終結の一連の流れに沿い、
そのプロセス段階で行われたタスクについて、
良かった点、悪かった点、改善点の3つを自由に記述できるように
シートを作成しました。

その他、プロジェクトを成功させるためのポイントだと考えられる部分については、
それを記述で記入するよう、質問形式の部分も作成しました。
実際に、この評価シートを使用してみないと、その効果は
十分に測れませんので、今後、プロジェクトの際には、
使用してみて、改善する必要があるでしょう。

プロジェクト・マネジメント講座

今日は、関わっている組織でプロジェクトマネジメント講座を開催しました。
講師は外部の方で、これまでに多くのプロジェクトに関わっている方でした。

2時間30分の講座でしたが、受講者は集中力を切らすことなく取り組めていました。

私自身、プロジェクトマネジメントは興味のある分野でしたので、2時間30分があっという間でした。この日のためにPMBOKに関する書籍をいくつか通読していたので、その内容が実際の現場において活用されているということを痛感しました。

プレゼン評価

今行っている授業では、受講者に必ず一回40分のセミナーの実施を課題としています。
今日はその一回目でした。

今期からは、ルーブリック評価を用いて、プレゼンのスキルとその内容を5段階で評価しています。今日は、一回目ということもありかなり辛口の評価でした。唯一良いところは声の大きさと、明瞭さくらい。論理的な構成は不十分で、何を伝えたいのか最後まで分からないものでした。

テーマの選択や、内容や素材自体は非常に良い選択をしていただけに、残念です。

セミナーの後には振り返りを行います。これまでは一人ひとり感想を述べていくというスタイルを採っていましたが、今回は個人で感想をまとめる作業を5分、その後3人程度のグループで共有、さらにそのグループの中でもっとも伝えたいことを一つピックアップする。
ここまでまとめたものを、発表者に対して語りかけるように伝える。
学習者からのフィードバックに対して、発表者はコメントを述べる。
これを繰り返しました。

これまで、一人ひとり感想を述べていくスタイルでは、どうしても個人の意見を淡々と発表するという感じでした。つまり、意見は発表者に対してのものであるのに、いつの間にか空虚なものになっている。そのような気がしていました。
今回の改善で、その点は非常に改善されましたが、それが原因で個人の意見にどのようなものがあるのか、見えにくいという新たな問題も湧出してきました。今後も改善が必要だと思います。

ボーリングに学ぶ

昨日11月25日は職員対抗ボリング大会。
私は同じ職場の方々とチームを組ましていただき、
しっかり参加しました。

ずいぶん前にこのチームで練習を行った時は、
150、170、160、130
と全員のアベレージが高かったので、
今回の参加の目標は入賞。

当日、結果は。。。

まだまだ入賞は遠い目標のようです。

一日前

研修にGO!
職員研修のアシスタントをしてきました。
各部署の中で、不満をひたすら出し続ける。
個人レベルから組織レベルへ
問題をドンドンポストイットに書き出す。
書き出したものを同じ職場の2~3人で共有。

今回は個人から組織を6段階に分けて改善点・不満を
ポストイットに書き出しました。
そのため、全編グループワークと言って
良いくらい、講義なしの研修。

研修の最後には、それぞれ出てきた不満・改善点を
全体で共有し、次回1ヶ月後の研修までに、
改善策やその行動計画などを作成することが、
宿題となっています。

このような研修で、そんなに簡単に不満を書くのか。。。
それが私の一番注目するところでした。
今回の研修では、そのような心配は
まったくの杞憂であり、
参加者が主体的に研修に参加している
と感じられるものであった。

次回、研修が非常に有意義なものになるように、期待している。

ビジョン力(びじょんりょく)

私がかかわっている授業では、参加学生が40分のセミナーを行います。

セミナーのテーマは学生がそれぞれ設定しますが、必ずリーダーシップに関連するものでなければなりません。実際、どのような能力もある程度リーダーシップに関連付けできると言えるので、なんでもいいとも言えますが。。。

授業に参加しているある学生と話していると、タイトルにもある「ビジョン力」でセミナーを行いたいといっていました。確かに近年もっとも優れたリーダーのタイプとしてビジョン型リーダーシップが話題となっていますし、そこにはビジョン力が必要でしょう。ではビジョン力とは何を指すのか。

たとえば、ビジョンを創り上げる力なのか、それともビジョンを浸透させる力なのか、はたまたビジョンを修正する力なのか、一概にビジョン力といっても様々な見方ができます。

ビジョン=理念
理念無き組織は組織に非ず。理念が変われば違う組織になるということ。
理念とは、非常に重要な要素であるといえます。

たまたま学生との会話に同席してくださっていた方が、最近は管理職研修でよく理念についてのものが行われているともおっしゃっていました。理念は時間がたてば劣化するものであるだろうし、常に修正しなければならないものだとも思う。この学生がどのような内容でセミナーを実施するのか、分かりませんが楽しみにしたいと思います。

自己受容・自己肯定

自己受容・自己肯定はここ数年のテーマです。

出会ったのは2年前、私が見る限り将来の自分のために最大限の努力をしていると思う方と話をする機会があり、その方との話の中で実は今の自分が非常に嫌いだという話がでました。自分はコンプレックスの塊で、何に関しても自信がない。しかし、人にはそれを悟られないように虚勢を張って、強気で物事に取り組んでいる。実際には、とても傷ついているし、深く悩んでいる。自分と同じような人を見るとイライラする。などなど、思いもしなかった話をききました。

では、自己受容・自己肯定の正体とは何なのでしょう。

自己受容とは、今のありのままの自分を受け入れることだと思います。自己肯定もほとんど同義だと思います。ただ、自己肯定というと自分自身を肯定することであるため、今の自分を正当化する。つまり他者から見てどんなに間違っていても、その間違いを認めないという考え方ともとらえられるかもしれません。そのような意味では自己受容と自己肯定は差異化されるのかとも思います。

自己受容は、自らの存在を認めること。
しかしそれは自ら生み出すものではなく、他者から得られる感覚なのではないでしょうか。他者が認めてくれるから、自分の存在を認めることができる。言い換えれば、自分がいくら自分を嫌いでも他者が良いと言ってくれるなら、今の自分で良いのです。

では、自己受容とは今の自分を受け入れ、成長を止め向上心を失うことなのでしょうか。

いいえ、違います。自己受容という言葉の意味は今の自分を受け入れること。つまり、そのなかにはもっと理想に近づくため努力している自分も含まれています。

自己受容、それは今のありのままの自分を受け入れること。
それは努力している自分、あがいている自分、自分のことを嫌いな自分、それらすべてを包含しているといえるのではないでしょうか。

テレビで留学!コロンビア大学英語講座「Stress」

NHKで放送されたテレビ番組です。

この番組は、全編英語で
日本語は一切ありません。
字幕も英語です。
今日、初めて見ましたが、
これぞ、アメリカの語学教育、
という感じがしました。

講義形式は
フィッシュボウルのような形式で、
一人の教員を半円で、
学生が囲む形です。

学生の人数は10~15人程度。
教員がテーマ「ストレス」に関する、
文章を読んで、それに対して、
どのように思うか、発言を求めます。

教員は教えるというよりは、
ファシリテーションをしているような感じだった。
中には、日本人の学生もいたが、
とても積極的に、英語の文法を間違えることを恐れず、
発言をしていた。

まさに、全員が主役のように感じた光景であった。

明日は150人の学生の授業。
グループでのディスカッションを中心とした授業ではあるが、
全員が主役になれてはいない。

どれだけ学びに参加できる環境を創るか、
特に人数の多い授業ではそのスキルが求められる。

ルーブリック評価

最近、ルーブリック評価という言葉をよく聞くようになった。

この評価は、ある項目に関して5段階~3段階程度で評価するもので、その一番の特徴は、各段階に詳細にその評価の基準が書かれていることである。
今回は、プレゼンの評価に対してルーブリック評価を作成した。これまで、プレゼンの評価はスキル面の評価を主としていた、評価シートを内容にも触れたものにするためである。身振りや視線、声の大きさや明瞭さ、顔の表情などスキルに加えて、話の構成や、テーマの選び方など内容について評価する項目をこれまでよりも具体的なものにした。

ルーブリック評価の良いところは、誰が評価しても同じ評価になるところである。(ただし、評価についての記述を詳細にする必要がある。)つまり、評価を客観的かつ一貫性のあるものにすることができ、評価基準を明確にすることができる点が大きな利点だと言える。
一方で、ルーブリック評価の弊害としては、ルーブリック評価の基準とした人物像に対しての相対評価になってしまうということである。そのため、個人の成長度のようなものを計る場合には向いていない。将来に対する期待値も含めて評価をしたり、これからの成長を促すためにあえて厳しく評価するといったこともできない。

評価の厳格化・透明性が求められている昨今ではあるが、明確で適正にすることは非常に重要であるが、あえて厳しくつけるなどの期待値評価などができないことは弊害と言えるかもしれない。

中間期振り返り

中間期の振り返りをお手伝いしてきた。

1.教室に入って、質問を板書する。
板書の内容は①良い点と②改善点、③授業時間外学習の時間④授業時間外学習に対する意識。
2.赤と青の付箋紙を配る
3.5分程度時間を与えて、コメントを個人で書いてもらう。
(このとき大切なのは、十分にコメントを書いてもらえるようにエネジャイズなメッセージを伝えること。一般的には、このような場合、淡々と無表情で進めるべきだというのがアメリカ流らしいのだが、あまり批評的でない日本においては、相手に対する手紙であるとか、どんな小さなことでもとか、コメントを引き出す働きかけが必要だと言える。)
4.グループ(3~4人)で共有(4分30秒)
(時間が十分にある場合は、グループ内でコンセンサスをとるのもよい。これによって、他の人がどのような視点で授業を見ているのかわかるし、教室全体の多数派の意見を知ることができる。)
5.グループの意見を教室全体で共有
(いくつかのグループを指名して、その中で最も多かった意見を述べてもらう。それに対して、どれくらい同意があるか、手を挙げさせる。これにより、教室の中での多数派を知ることができる。)

6.付箋紙に書かれているコメントを打ち込み&分類
7.実際のコンサルティング

以上がMSFの流れである。
私がお手伝いしたのは6までで、それから先は専門の方のお仕事です。

今回のお手伝いの中で、思っていたよりもコメントが多く出てきたことに驚いた。ただ、他の方がコンサルに入った時はほとんどコメントが出なかったこともあるそうなので、今回はやはりエネジャイズなメッセージが伝わった結果ではないかと思われる。特に、先生への手紙だと思って・・・。と言葉かけをした時の反応は非常によかった。
MSFの仕事を任せてもらえるようになりたい。

会議の時間

会議とは、実に様々だ。。。
有意義な時間を過ごせるものから、
参加しなければよかったものまで、幅が広い。

そもそも会議は話し合いのための場なのだろうか?
日本の文化には、「根回し」なるものがあるが、
それがすべてを表しているように思う。
つまり、最初から話し合うつもりなんてないのだ。

インフォーマルの場で、
ほとんどが話し合われているのだ。
会議の場は、ただの伝達。

なんなら、会議のための会議まで開催されているという話も聞いたことがある。

会議のための会議って、なんでしょう。
もう、会議が何なのか、全くわかりません。

では会議は必要ないのでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。やっぱり必要なのです。
上記の、会議のための会議はやりすぎだと思いますが、
会議には、ある程度見通しの立ったものを議題として持ってくるべきだと思います。

それは、事前の準備です。
つまり、会議には会議の準備が必要だと思います。
良い準備が、よい会議を作ります。

大切なもの

先週行われたイベントの反省会を行いました。

行ったイベントは、映画の上映会。

あるドキュメンタリー映画を上映して、世界の現状を知ってもらうことが目的でした。

このイベント、我々スタッフは外から観ていたのですが、
準備の段階から、順調にいっているのか不安でした。
当日は、“ヤッパリ”段取りや細かな部分でミスが多く、
文句を言って帰ってしまうお客様はいませんでしたが、
相当にストレスを感じていたのではないかと思います。

今回はその反省会。
反省することが多く、ファシリテーションする我々も、
何から手をつけていいのか。。。

最終的には、イベントに対する愛情、
仲間に対する思いやり、
さらに、協力する関係者への感謝。
このような人間力が今回は充分に
なかったということになりました。

プロジェクト・チームのメンバーは、
今回の件について、かなり思うことが
あったようです。
今回の経験が、彼らにとって実り多いものであることを願います。

大切な基本的なモノ

今日感じた大切な基本的なモノとは、礼儀。
あるいは、品格と言い換えてもいいかもしれない。

誰かに何かしてもらったら、「ありがとう」
迷惑をかけたら、「ごめんなさい」

さらに、何かした後の後始末。
後始末というと、ついつい片付けと思いがちですが、それだけではない。
お世話になった人への挨拶、報告、次への反省。

すべて後始末です。

やはり大事だと思います。
礼節を欠いた対応は、信用を失います。

集中力

持続的な集中力が欲しいなぁと思います。
元来、集中力はあるほうだと思うんですが、何せそ集中力は好きなことにのみ発揮されるもので、興味のないものには一切発揮されません。好きでないものであれば、完全に集中力以前、やる気すらなく、期日に間に合うかのギリギリ。むしろ、間に合わない理由を考える始末。

何に対してもコンスタントに集中力を発揮できる方法はないものかと思います。

つまり、何にでも興味を持つようにすればいいのでしょうが、それはそれでかなり難しい話だと思います。何か良い方法があれば、ご教示いただければ幸いです。

デジタルネイティブというアイデンティティ

NHK総合の番組でデジタルネイティブの特集があった。
初めて聞いた言葉、「デジタルネイティブ:子供のころからインタラクティブなインターネットツールを使ってきた世代」

番組の中では、いくつかの事例が紹介されていました。
1.16歳の実業家の話
2.「はてな」の話
3.世界的な組織をつくる若者の話
などなど。。。

はっきり言うと、衝撃的な話だった。
デジタルネイティブの特徴は
1.現実の出会いとネットでの出会いを区別しない。
2.年齢や職業・肩書きなどにこだわらない。

とてもフラットな関係を築くことを大切にしているということだと思う。

このような考え方はある程度賛同できる。
だが、これだけではダメな気もする。
特に日本は謙虚、謙遜などを美徳とする文化が基本であるし、
年齢にデリケートだと思う。

企業は、このデジタルネイティブを如何に受け入れるか、戦略を考えているようだが、この世代に如何に謙虚さを教えるかを考えてほしいとも思う。一方的に受け入れる方法ばかり消極的に考えるのでは、若者の暴挙を一方的に受けているだけだと感じる。

一方で、インターネットの利便性と連結性にはとても大きな力を発揮するのだということを痛感した。
簡単に世界の人々と連絡を取り合って、組織として動き始めることができる。
その結果、とても迅速に社会の仕組みに影響を与えることができるのである。
速効性こそ、情報化社会の中で一番の武器であると言えるだろう。
今回のNHKの番組で改めてネットワークの効果と、速効性の重要性について考えさせられた。

おいしいコーヒーの真実

上映することになりました。
明後日、10時からと14時からの2回です。
「学生祭」で、フェアートレードを扱うのはテーマとして重たいのかもしれないが、
「学生祭」だからこそ、しっかり文化的な内容のイベントをするべきだろうと
いうことで、今回の企画です。

お時間のあるかたは、愛媛の学生祭にお越しください。

「おいしいコーヒーの真実」も非常に素晴らしい映画だと思うが、
「いのちの食べ方」も最近は興味をもつ作品です。
11月29日、DVD発売です。

見てみようと思います。

自己紹介という自己の内なる旅

本日は、外部講師(今年から本学の客員準教授)が来て、自己紹介セミナーを実施しました。

自己紹介や自己PR。
意外と簡単に
考えているものです。

「自己PRをしてください。」
と言われ、多くの人は、こんな風に言うのではないでしょうか。
「私は○○です。△△出身です。今、□□に所属しており、××をしています。そして~。」
と単純にプロフィールを並べるというもの。

しかし、これは本当に自己紹介・自己PRなんでしょうか。

違います。

これでは、本当の意味で紹介・PRできていません。
“紹介・PR”とは、本人の口から聞かないと分からないこと、知らないことを語るのです。
紙を見てわかるものは、必要ないのです。

今日の自己紹介セミナーでは、
「自分には何が提供できるのか、お役にたてるのか。」
さらに、そこから
「それを通じて、何がしたいのか。」
それを自己紹介では話さなければならないと、
言われていました。

そこで、思ったことがあります。
この何が提供できるのか、それを通じて何がしたいのか。」
を見つける作業とは、結局のところ自己理解なのではないか。
つまり、自己紹介というアウトプットをすることは自己との対話を
必要としているのではないでしょうか。

ある人が、他人に何かを伝えるとき、自身は自己の内なる旅に出ていると、
言っています。
この自己紹介も、同様に自己の内なる旅なのではないでしょうか。

今回の参加者は、皆、知らず知らず、自身の内面を旅していたのだと思います。

発想

“思考の停止”=死だと思う。

今日は、月に1回のミーティングの日だった。
大学院生と一緒に運営している、
組織では毎月1回全体ミーティングを行っている。
4月からこれまで、それはもう悲惨なミーティングだった。
司会兼書記(この段階で若干無理がある)は、
筆記の際、無口になる。
議事の進行が停止する。
また、メンバーからの発言を理解できないことが多い。
そのため、同じところでクルクルまわる。

参加者は、ただの傍観者で、
議題に主体的に関わろうとしない。
“仕事が増ることなく、早く終わる”
これが、理想の会議と言っているようだった。

今日、ミーティングは少し違っていた。

司会兼書記をみかねた学生が書記を自発的に担当し、
これまでの傍観者は議題に対して、自分の意見を述べていた。
しかも、建設的な意見を。。。
これまでであれば、面倒だからとか、負担が増えるからと
却下されていたようなことを、
やってみようと言い始めた。

とても大きな成長だと思う。

今後、彼らの成長をうまくファシリテートできればと思う。


また、今回のミーティングでは改めて、アイデア発想というのを考えさせられた。
元来、日本人というのは“見立て”を“美”とする意識を持っている人種である。
この“見立て”とは千利休あたりから一般的になってきた言葉なのではないだろうか、
物を本来のあるべき姿ではなく、別の物として見る」という物の見方である。

つまり、日本人とは昔からアイデア発想を得意とし、“美”ととらえてきたのだと言える。
今、社会では“指示待ち人間”“主体性がない”など自分から何か考えて行動できない若者が
多いといわれている。自分を消して、ただの歯車になる。
まさに思考の停止だ。
「言われることを言われたようにこなす=仕事」
これは本当に正解なのだろうか。
私には、“死事”に見えてしまう。
自分だから出来ることを探さなくなったとき、仕事は死事になり、ただの作業になる。
本来、日本人が持っている、発想をフルに使って、今、自分にしかできないことを探す。
そんな風に変らなければならない気がする。

成長段階モデルの検討

人は、どのようにしてリーダーになるのだろうか。

多くの人は、“なんとなく”、
“なろうと思ってなったのではない”、
“長男・長女だから生まれつき”
なんて言うのかもしれない。

でもそれは本当に正しいのだろうか。

“なんとなく”の中にも
何故が必ずある。

“思っていなくて”も、
その過程はリーダーに
なるための過程だったのだ。

では、“長男・長女”は必ず
リーダーなのか?

リーダーになるためには、必ずある種の決まったパターンが存在するのではないだろうか。

今、関わっているプロジェクトの中で感じる成長段階モデルは、

1.自分とは何かを考えている。

2.今の自分を構成する諸要因について考えている。

3.自分の成長のことだけを考えている。

4.組織の中の他者と自分の関係について考えている。

5.組織と自分の関係について考えている。

6.組織を構成する他者の成長を考えている。

7.組織の持続可能性について考えている。

このような7段階のモデルである。
今後、もっと深く検討していきたい。

視点の変化

乗馬を初体験してきた。

思っていたよりも、大きな体に、驚いた。

まず、受付をして、それから足に馬具をつけて(足はブーツをはいているのかと思っていたが、実は巻きつけるタイプのもので、マジックテープで革の足カバーをつけているみたい。)、それから、帽子をかぶり、ベストを着て出来上がり。

馬の座る部分は170㎝くらいだと思う。

左足から跨る。

手綱を握って、パカパカと歩き出す。

自分の身長より高いところから見下ろす景色は、普段では味わえない視点。

いつもよりSoraが近い気がした。

感情と論理

分類の方法に“論理(理性)と感情”があるように思う。
つまり、論理的な考え方を好む人、
感情論的考え方を好む人。

論理[logic]とは(はてなキーワード)
(1)思考の形式・法則。議論や思考を進める道筋・論法。
(2)認識対象の間に存在する脈絡・構造。


感情[emotion]とは(Wikipedia)
物事などに対して抱く気持ちのこと。喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖などがある。


どちらが正しいというわけではない。
しかし、何かを判断するとき、論理的に判断するのであれば、一貫性が出てくるが、
感情的な判断だとその時その時で軸がブレテしまうように思う。判断をする際一貫性を喪失してしまうことは、非常に危険なのではないだろうか。
大事なことは、自分が常に論理的に判断しているのか、感情論的に判断しているのか、知っていること。

そのために、自分を理解しなければならないと思う。
なぜ、そのように判断したのか。
やっぱり振り返り。。。

エゴグラム自己分析

これまでにも、何度かエゴグラムによる自己分析は行っていますが、今回久し振りにしてみた。というのも、リーダーシップ教育の4期生が今週より開始し、そこでエゴグラムを実施し、自分がどのようなタイプだったか思い出すためと、現在の自分はどのようになっているのか、客観的にみるためだ。

今回の結果は、想定の範囲内。前回のものと大きな変化はなかった。

『A=adult(大人の心)』の指数が一番高く、
『AC=adapted child(順応した子供の心)』の指数が一番低かった。

全体の評価としては、一見気儘(きまま)な部分が目立つが裏では緻密に計算をしているというもの。しかし、マイペースさがいつか仇になる時が来るという、不吉な感じの総評だった。

この総評は実際によく当たっている。
しかし、マイペースは自然に行っているものではない。
つまり、生まれついてのマイペースではない。

マイペースを演じている。
マイペースでなければ、束縛されるから。。。何かに縛られる生活は嫌だ。
自分の好きなように行動したいし、判断したい。


最近、自分の専門は何なのか、迷うことがある。
迷うというよりは、何なのか、分からなくなる。

これまでは、企画(Plan)が自分の得意な分野だと思い、
プロジェクト・マネジメント、チームビルディングなどを学んでいたが、実は、
改善思考が一番の得意なのではないかと考えるようになってきた。

実際にこれまでも企画の改善案を出すことや、評価などが楽しかったという経験がある。
これらから総合的に判断して、
改善思考・評価を専門にするのは良い考えかもしれない。

リフレクションの重要性

● リフレクション(振り返り)

学びの振り返りは、研修などを行った際に必ず行うもので、
それがアイスブレイクだとしても、そこには振り返らなければならない学びがある。

自己紹介で、参加者が輪になって一分間ずつで与えられたテーマに関して話すのだが、一般的なこのアイスブレイクの目的は、参加者相互の他者・自己の理解を深めるためのものであるといえる。

実際に参加者はそのようにとらえていた。
しかし、一方でこのような見方はできないだろうか。

“一分間という短い時間で如何に相手に自分のことを印象付けることができるか”というトレーニング。

他者との接点は実際の生活ではとても刹那的で、継続して会う機会が確約されている関係は非常に少ない。そんな刹那的な時間の中で、如何に自分を売り込むのか、つまりまた会いたい存在になるかということは社会的に求められている能力だと言える。

今回、アイスブレイクの振り返りを行った際、参加者は誰もこの視点を持っていなかった。講師側から提示することで、この視点は全体に共有することができた。

リフレクションの機会は、重要性が理解されていない場合削られる、時間をとらないなど適当に扱われがちな気がするが、本当の学びはリフレクションの中にあるように思う。

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Profile

現在、教育機関で教員の能力開発と学習者のソーシャルスキルの開発を担当しています。 関心分野(事): 人材能力開発、プロジェクト・マネジメント(PMBOK)、チーム・ビルディング、学習心理学、社会心理学、プランニング、問題解決力、戦略思考、論理力、ゲーム理論、マインドマップ、改善発想、工業デザイン、Change Mind、マインド・オルガナイズ 好きなコト・モノ: Sora(空)、写真、筋トレ、旅、原付、笑い、デザイン、花火、文房具、音、ツッコミ、浪費

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